MPPC加盟社の活動(3)

 MPPCの中でも大きな規模を誇ったヴァイタグラフ社は、主にブルックリンのスタジオで映画製作を行った。かつては創立者でもあるスチュアート・ブラックトンが唯一の監督だったが、ブラックトンが数人の監督を統制する形で映画を製作していた。1909年当時、意識的に有名な題材に眼を向けていた唯一のアメリカの映画会社だったと言われている。「運命の男ナポレオン」といった作品がヒットし、数巻もののコスチューム劇へと向かった。その代表作は「モーゼ一代記」(1909)で、1時間に及ぶ上映時間の5巻もので、5つのエピソードにわけて公開されたという。この作品によりヴァイタグラフ社は、数巻ものの映画を系統的に製作した最初の映画会社となった。

 バイオグラフ社では、昨年より監督となったD・W・グリフィスの功績が大きかった。1908年に65本を監督したグリフィスは、1909年には138本を監督したと言われている(それらの映画は100メートルから300メートルの間で、最大でも1巻−約15分を超えることはなかった)。グリフィスは、あらゆるジャンルの映画を製作し、評価の定まった文芸作品の映画化や文学作品を無意識的に借用して映画製作を行った。


(映画本紹介)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画史を社会的、文化的、経済的な側面から眺めた1冊。といっても、それほど難しくはないので、専門的な映画本の入門編としても最適。MPPCの結成から崩壊までについても1節が割かれている。