フランス、文芸作品の行方

 昨年設立されたフィルム・ダール社は、「ギーズ公の暗殺」(1908)で批評家の賛辞を浴びたが、興行的には失敗し、この年の6月の段階で8万フランの赤字を出した。責任を取る形で社長が代わり、劇作家のポール・ガヴォーが社長に就任した。ガヴォーは、パテ社との配給契約を破棄し、コメディ・フランセーズの座員に払っていた高いギャラを廃止するなどして、経営の立て直しを図った。そんな中、この年のフィルム・ダール社からは、「ユダの接吻」(1909)といった作品が製作されている。

 パテ社の文芸部門の子会社といえるスカグル社は、フランスの古典的上演作品の映画化権を多く入手していた。芸術監督のアルベール・カペラーニは、古典的な作品を週1本の割合で映画化した。この年映画化された作品の中では、「居酒屋」(1909)が、長さ800メートルの長篇で、ヒットしたという。

 また、脚本家として活躍していたミシェル・カレが、この年から自分の脚本を演出するようになる。カレは自分の一座を持ち、契約によってスカグル社に作品を提供するようになる。

 ゴーモン社も文芸映画の分野に乗り出した。ルイ・フイヤードが「審美的映画」シリーズを監督して、有名な絵画や、写真術を模倣したが、観客は入らなかった。

 そのゴーモン社では、レオンス・ペレが演じた「レオンス」を主役とした喜劇を制作した。ペレは演出も担当した。この喜劇は、シュザンヌ・グランデが共演したときのみ魅力を発揮したといわれている。後に、シュザンヌ・グランデが去り、ペレの喜劇は魅力を失っていく。


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。