ロシアの映画製作

 フランスのパテ社は当時、各国において国民的性格をもつ映画の製作を組織する戦略で映画製作を行っていた。ロシアではこの年、ワシーリ・ゴンチャロフを雇い入れ、カイ・ハンセンと共同で「ディミトリ・ドンスコイの生涯における一つのエピソード」(1909)を演出させている。

 また、ドイツ系の二人の配給業者が設立したグロリア社は、1909年から1910年にかけて年に数本の作品を製作している。グロリア社は、脚本家のゴンチャロフを「モスクワのドラマ」(1909)で演出家としてデビューさせてもいる。

 一方で、古典的文芸の映画化も盛んに行われた。トルストイ原作「イワン雷帝の死」(1909、ワシーリ・ゴンチャロフ監督)や、ゴーゴリ原作「タラス・ブーリバ」(1909、アレクサンドル・ドランコフ監督)が製作されている。いずれも10分程度の作品だった。

 この年、ロシア国内の会社が製作した映画の本数は13本といわれている。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。