パテ社のニュース映画とトリック映画

 パテ社が製作していたニュース映画は、1908年よりパリに専門館を持つほどになっていたが、この年になると地方にも配給されるようになった。また、ドイツ版、イギリス版、ロシア版、アメリカ版が作られるようにもなった。

 ニュース映画は、以後、全世界で40年にわたり作られつづけることとなる。

 また、パテ社では、セグンド・デ・チョモンによって、トリック映画が製作されていたが、この年「固体の液化」(1909)「榛の木の王様」(1909)といった映画を製作した後、チョモンはイタリアへと渡ることとなる。さらに、映画の客層が子供中心から大人中心へと移っていったこともあり、トリック映画は衰退していくこととなる。チョモンはパテ社に解雇され、スペインのバルセロナへ戻る。

 チョモンは、彩色の面でも貢献した。「パテカラー」と呼ばれる量産型付板がこの年完成し、一般公開されている。

その他ドイツでは、アグファ社が生フィルムの製造を開始している。


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。