日本 陰台詞への対抗 岩藤思雪

 前年(1908年)、エム・パテー商会の「曾我兄弟狩場の曙」の上映の際に人気を呼んだ「陰台詞」(画面の役者に合わせて弁士が科白をしゃべる方式)に反対の立場を取った外国映画の弁士岩藤思雪が、叙述的な説明で筋を運ぶ作品「日本桜」を製作している。タイトル(場面の状況の説明)を挿入するが、弁士たちの説明がしにくいという理由によって、勝手にタイトルを取って上映されたりした。

 岩藤は同年、「新不如帰」も製作し、カットバックを初めて用いたともいわれている。 しかし、当時の演技は稚拙で、タイトルだけでは足りず、大げさでこっけいな身振りが見られたという。

 岩藤らはこの後、「無声倶楽部」というアマチュア劇団を作り、数十本の喜劇映画をつくることになる。


(映画本紹介)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。