アリス・ギィのアメリカでの映画製作

 かつて、フランスのゴーモン社で製作責任者として活躍したアリス・ギィは夫と共にアメリカに渡っていた。そのギィは夫のハーバート・ブラシェと共に、ソラックス社という映画製作会社を設立し、第一作の「子供の犠牲」(1910)を製作している。

 ソラックス社は、ニュージャージーに自分のスタジオを設立する。軍隊もの、パール・ホワイトもののようなメロドラマ・サスペンス、子供の労働問題などの社会問題を扱った作品を制作している。また、猛獣を使ったり、爆破シーンを撮影したりと危険な撮影も行った。

 ギィは、社会問題を扱った映画の製作のために阿片窟、中国人街、孤児院、子供のホスピス、精神病院、裁判、刑務所などを取材のために見学した。また、映画の大学を作らないかという誘いもあった。

 夫のブラシェはゴーモンとの契約が切れた後、ソラックス社の社長に就任。ユニバーサル、ワールド、メトロ、パテなどの配給会社に作品を提供していくことになる。


(映画本紹介)

私は銀幕のアリス―映画草創期の女性監督アリス・ギイの自伝

私は銀幕のアリス―映画草創期の女性監督アリス・ギイの自伝

  • 作者: アリスギイ,ニコル=リーズベルンハイム,Alice Guy,Nicole‐Lise Bernheim,松岡葉子
  • 出版社/メーカー: パンドラ
  • 発売日: 2001/12/01
  • メディア: 単行本
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映画草創期に映画監督として活躍しただけではなく、ゴーモン社の撮影責任者としても活躍したアリス・ギィの伝記。解説は女性にとっての映画史ともなっており、こちらも読み応えがある。