MPPC側の映画製作(1)

 MPPCの中心会社であるエジソン社では、マッド・サイエンティストの代表的作品「フランケンシュタイン」の最初の映画化が行われている。大釜から登場するモンスターは、土葬された死人が数日後に土中からよみがえったような印象だっという。

 パテ社は、4月にニュージャージー州に撮影所を開設し、5月には第一作「アリゾナから来た娘」を製作している。

 メリエスのスター・フィルム社では、フランスでのジョルジュ・メリエスの映画製作本数が激減し、ジョルジュの兄ガストン・メリエスはMPPCからの割り当て分の映画を製作するために、アメリカン・ワイルド・ウェスト社を設立している。この会社の映画は、テキサスで撮影された西部劇が中心で、多くの監督を雇うようになり、サンアントニオにスタジオも作った。多くの西部劇を作るが、後に「史上最悪の西部劇」と呼ばれるようになるほどひどい出来で、MPPCも配給を拒否するほどだったと言われている。また、ジョルジュ・メリエスはガストンの新会社設立をこの時点では知らされておらず、後に兄弟の仲を悪化させる要因の1つとなる。

 シーリグ社ではこの頃、現役保安官を採用し、トム・ミックスという名のカウボーイとして売り出した。このキャラクターは国際的な人気を得るようになる。この後、トム・ミックス映画は1917年まで短編西部劇を100本以上製作していく。

 ミックスはテキサスで生まれで、軍隊で米西戦争などに従軍した後、西部でカウボーイとなり、カンザス州やオクラホマ州では一時保安官も勤めた。その後、オクラホマで牧場を買って落ち着くが、シカゴのシーリグ社からロケ用に牧場を貸してほしいという話があり、撮影中にカウボーイの演技指導や狼との格闘シーンのスタントマンを買ってでるなどして映画作りに引き込まれ、ついにはシーリグ社と正式に契約することになったという。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。