1910

 「松之助の忠臣蔵」 1910−1917年

「松之助の忠臣蔵」(1910−1917) 「松之助の忠臣蔵」の製作年は1910年から1917年となっている。これはどういうことかというと、決して製作が8年間かかったということではなく、1910年から1917年にかけて作られたいくつかの尾上松…

 イタリア フィルム・ダール・イタリアーナ社の作品 1910年(2)

「THE MERCHANT OF VENICE(ベニスの商人)」 イタリアのフィルム・ダール・イタリアーナによる作品。 ウィリアム・シェイクスピアの「ベニスの商人」の映画化。ロケを中心に撮影されているが、固定されたカメラによるショット、役者の大げさな演技により、演…

 映画評「AFGRUNDEN」 デンマーク アスタ・ニールセン主演作

[製作国]デンマーク [英語題]THE ABYSS [製作]コスモラマ [監督・脚本] ウアバン・ギャズ [出演]アスタ・ニールセン、カーレン・ブリクセン、ポウル・ルーメルト ピアノの先生をしているマギアは、中流階級の男性と恋に落ちる。男性の別荘に招かれて過ごすこ…

 イタリア フィルム・ダール・イタリアーナ社の作品 1910年(1)

「KING LEAR(リア王)」 イタリアのフィルム・ダール・イタリアーナによる作品。 ウィリアム・シェイクスピアの「リア王」の映画化。ロケを中心に撮影されているが、固定されたカメラによるショット、役者の大げさな演技により、演劇的な印象を受ける。ストー…

 フランス パテ社・アメリカ支社の作品 1910年

「WHITE FAWN'S DEVOTION」 フランス・パテ社のアメリカ支社によって製作された作品。 ネイティブ・アメリカンが出演している作品であり、内容も白人の夫とネイティブ・アメリカンの妻という人種の違う男女の夫婦が登場している。 白人の夫の元に遺産が入るとい…

 フランス ゴーモン社の作品 1910年

「CADRES FLEURIS」(1910) 製作国フランス 英語題「FLORAL FRAMEWORKS」 Societe; des Etablissements L. Gaumont製作 監督エミール・コール 額縁のように花のような模様がアニメーションで描かれていき、完成すると真ん中に人物の顔などが映し出され…

 フランス パテ社の作品 1910年(2)

「SLIPPERY JIM」 フランス パテ・フレール製作・配給 1人の男が逮捕されるが、手錠をはめても牢屋に入れても逃げ出してしまう。 当時、縄抜けで人気を得ていたアメリカの奇術師ハリー・フーディーニをモデルにした作品だという。フーディーニは1909年…

 フランス マックス・ランデーの作品 1910年

「MAX PREND UN BAN」(1910) 英語題「MAX TAKES A BATH」 製作国フランス パテ・フレール製作・配給 監督ルシアン・ノンゲ 出演マックス・ランデー 風呂おけを買ったマックス。だが、部屋の中では水を入れられないため、アパートの廊下で入浴を始める。…

 フランス パテ社の作品 1910年(1)

「ROMEO TURNS BANDIT」 フランス・パテ社による作品。 ウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の翻案作品で、主演は、喜劇俳優として人気を得ていたマックス・ランデー。 恋人ジュリエットの父親に交際を反対されているロミオは、狂言誘拐を実…

 イギリス キネト・フィルム社の作品 1910年

「A DAY IN THE LIFE OF A COAL MINER」 イギリスのキネト・フィルム社製作の作品。 イギリスの炭鉱掘りの様子を撮影したドキュメンタリー。 実際に石炭を掘るところ(地下なので撮影は大変だったことだろう)のほかにも、女性の労働者が木材を積んだりする…

 アメリカ シーリグ・ポリスコープ・カンパニーの作品 1910年

「THE SERGEANT」 製作国アメリカ シーリグ・ポリスコープ・カンパニー製作 ジェネラル・フィルム・カンパニー配給 監督・製作フランシス・ボッグス 製作ウィリアム・ニコラス・シーリグ 出演アート・アコード、ホバート・ボズワース、フランク・クラーク、…

 アメリカ ヴァイタグラフ社の作品 1910年

「TWELFTH NIGHT(十二夜)」 アメリカのヴァイタグラフ社製作の作品。 ウィリアム・シェイクスピアの「十二夜」の映画化。セットとロケを併用しているものの、舞台を撮影したような雰囲気の作品。だが、他のシェイクスピアの作品と比較するとわかりやすいス…

 「THE WONDERFUL WIZARD OF OZ(オズの魔法使い)」1910年

「THE WONDERFUL WIZARD OF OZ」 アメリカ、シーリグ社製作の作品。主役のドロシーを演じるのは、この後もハリウッドで活躍していく女優ベーブ・ダニエルズ。 「オズの魔法使い」の映画化であり、現存している作品の中ではもっとも古い映画化作品だという。…

 バイオグラフ社の作品 1910年

「AEROPLANE FLIGHT AND WRECK」 アメリカ、バイオグラフ社製作。 飛行機を格納庫から出し、飛び立つも着陸に失敗する様子を撮影。 飛行機が飛び立つまでのシーンが撮影されていることよりも、着陸に失敗した後の壊れた飛行機の様子まで映っているという点が…

 D・W・グリフィスの作品 1910年(5)

「THE FUGITIVE」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 時は南北戦争。北軍の兵士が、南軍の兵士を撃ち殺すも追われる身となる。逃げ込んだ家には、自分が殺したばかりの南軍の兵士の母親が住んでいる。母親は北軍の兵士を追い出そうとするが…

 D・W・グリフィスの作品 1910年(6)

「WHAT THE DAISY SAID」 D・W・グリフィス監督、メアリー・ピックフォード出演。バイオグラフ社製作・配給。 少女のマーサはジプシーの男に幸せになれると予言され仲良くなる。だが、ジプシーの男はマーサの姉にも同じように言って迫っていた。 ジプシーを…

 D・W・グリフィスの作品 1910年(4)

「THE HOUSE WITH CLOSED SHUTTERS(鎧戸の締まった家)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 舞台は南北戦争。出征したある兵士が、書簡を前線へ運ぶ任務を帯びるが、任務途中で恐怖からそのまま実家に帰ってしまう。兵士の任務を知った兵…

 D・W・グリフィスの作品 1910年(3)

「THE USURER(高利貸し)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 裕福な金貸しと、金貸しに取り立てに合う貧しい人々の様子を描いた社会派の作品。 比較的短い間隔で、金持ちのパーティや貧しい人々の苦しい生活が対比され、ただそれを見るだ…

 D・W・グリフィスの作品 1910年(2)

「IN THE BORDER STATES(境界州にて)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 南北戦争を背景にしたドラマ。南軍の兵士を助けてあげた少女。自分の父親が窮地に陥ったときに、かつて助けてあげた南軍の兵士によって助けられる。 15分という…

 D・W・グリフィスの作品 1910年(1)

「THE UNCHANGING SEA(不変の海)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 この作品は、サンタモニカでロケ撮影されている。当時、グリフィスはニューヨークのスタジオを中心に映画を撮影していたが、冬になると寒くて日差しも弱くなる東海岸…

 エジソン社の作品 1910年(3)

「THE STENOGRAPHER'S FRIEND」 エジソン社製作の作品。エジソン社のフォノグラフ(音声を録音する機械)をオフィスに導入したときの効果を、実例を交えて紹介している。ちょっとしたドラマを交えたCMである。 とあるオフィス。1人の女性に口述した内容の…

 エジソン社の作品 1910年(2)

「A CHRISTMAS CAROL」 エジソン社の作品。 チャールズ・ディケンズの同名小説の映画化である。といっても、17分の作品であり、作品のハイライト部分が映画化されている。 この頃までの小説を映画化した作品は、作品の内容を知っていることを前提として作ら…

 エジソン社の作品 1910年(1)

「NEW YORK OF TODAY」 ニューヨークの様々な様子を撮影した作品。タイムズ・スクエア、ウォール街、遊園地のルナ・パークといった観光地の紹介となっている。 2人の観光客がニューヨークを巡るようなつくりに一応なっているものの、そこにストーリーは特に…

 日本 伊藤博文暗殺フィルム

1909年に殺害された伊藤博文の様子を偶然ロシアのカメラマンであるコプツォフが撮影していたフィルム(497フィート)が、この年両国国技館で上映されている。コプツォフも「伊藤公遭難当時の感想」と題して、後援も行っている。(映画本紹介)日本映…

 日本 ルナパークの建設

老舗の映画会社である吉沢商会の河浦謙一がこの年、ニューヨーク・コニーアイランドの遊園地ルナパークにならった、総合娯楽場ルナパークを浅草に建設している。 ルナパークには南極旅行館、天文館、海底旅行館、自動機械館、木馬館、植物温室などの施設とと…

 田中純一郎の見解(1910年頃の日本映画)

この頃の日本映画について、「日本映画発達史」の田中純一郎は次のように語っている。ちなみに、田中純一郎は、陰ゼリフについては、映画の発展を阻害したものとして、その価値をほとんど認めていない。「明治の日本映画は、どこまでも演劇の代用だとしか思…

 日本 4つ目の巨大映画会社「福宝堂」

吉沢商店、横田商会、エム・パテーといった大きな映画会社の中に、この年、「福宝堂」という会社が仲間入りしている。 福宝堂は田畑健造が設立した会社である。東京都内には常設映画館を一区内一館限りという警視庁の内規があった(実際は適用されなかった)…

 日本 再出発したエム・パテー商会

エム・パテーの大久保撮影所では、「日蓮上人御一代記」(1910年)が製作されている。一万尺で、67場面という大作だったが、評判はよくなかった。 そんなエム・パテーは関西方面で不渡りを出し、整理されることとなる。整理後、1911年1月から、資…

 日本 尾上松之助の活躍−1910年

尾上松之助映画を製作していた横田商会はこの年、京都に敷地約300坪の撮影所を建設している。撮影所といっても、二間に四間くらいの板敷きの舞台を作り、その上に開閉できる天幕を張り、自然光を使って撮影が行われた。撮影所の土地は元々京都の侠客・千…

 ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、スペイン−1910年

光学機器の大量生産を得意としていたドイツは、1910年頃に優れた映写機を市場に出し、中央ヨーロッパやロシアではパテの映写機に取って代わっていくことになる。 そのドイツでは、リュミエール兄弟が開発した機械名である「シネマトグラフ」という言葉は…