MPPC側の映画製作(3)

 バイオグラフ社では、引き続きD・W・グリフィスが活躍していた。「因襲打破を唱える人」(1910)では、組合参加の労働者を否定的に描いた。また、南北戦争を扱った作品では南部派の視点を採用していた。1909年から1911年にかけて、戦争を描いた作品などでは、群集・戦闘シーン・騎馬兵などに多額な制作費をかけることができた。1910年の暮、メアリー・ピックフォードがグリフィスの元から去ったが、メイベル・ノーマンドやメイ・マーシュを雇い、俳優陣を充実させた。

 グリフィスは、比較的喜劇を苦手としていた。そのため、俳優として活躍していたマック・セネットを監督に昇進させた。監督デビュー作は、「ラッキーな歯痛」(1910)で、メアリー・ピックフォードが出演した。また、後にセネットの主宰するキーストン社でチャップリンと共演することになるメイベル・ノーマンドも、セネットの作品に出演した。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。