スターの引き抜き合戦(2)

 また、メアリー・ピックフォード、ピックフォードの婚約者のオーウェン・ムーア、トマス・H・インスらがバイオグラフ社からIMPへ移籍している。ピックフォードは、バイオグラフの週給75ドルから125ドルとなった。この時レムリは、「可愛いメアリは今や小悪魔(IMP)となった」と発表して、宣伝巧者ぶりをみせている。このとき、バイオグラフ社で役者だったトマス・H・インスも一緒に移籍している。

 昨年(1909年)に設立された独立系のバイソン社がこの年、ニューヨーク映画社とリライアンス社を設立しているのだが、リライアンス社を設立するために、バイオグラフのD・W・グリフィスのスターたちを引き抜いている。

 この頃、映画に出演する俳優は観客にも知られるようになり、そのうちの一部の人たちはスターとなった。1910年の終わり頃には、名の知れたファンがサイン入りの写真を送る傾向が定着し、映画ファン向けの雑誌も生まれたという


映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。