フランス喜劇

 文芸映画シリーズで結果を出せなかったフランスは、喜劇の分野で結果を出している。その中心となった人物はマックス・ランデーだった。

 それまでフランスで人気を得ていたアンドレ・デードがイタリアの映画会社へと移籍したために、すでに喜劇に出演していたランデーは、デードの後釜としてパテ社から売り出された。白髪の鬘や鼻眼鏡をつけた、ためらいがちだが怒りっぽい老人のキャラクターは、1910年にはスタイルを固めていた。この年以降、ランデーは、パテ社のもとで毎週150メートルから300メートルの作品を週1本製作していく。

 ランデーは、パテ社からメートル単位で給料をもらい、自らシナリオを書いたり、監督したり、監修したりした。撮影は、即興演技で撮影されており、最良の作品は、チャップリンと肩を並べるほどの作品となっているといわれている。多くの場合、主人公は良家の子息で決して仕事をしないブルジョワ・小市民的環境の中で展開された。ランデーの人気は高まり、出演料は年5万フランに達した(当時の事務員の平均給料が月100フラン)。一時期、虫垂炎と腹膜炎の併発で入院したが、健康を取り戻して活躍した。


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。