シャルル・パテ 映画産業の父(3)

 シャルル・パテは、剽窃による映画製作にとどまっていたわけではない。それは、初期の市場がとにかく数を欲していた時代に最も有効だった手段であり、パテは市場の需要に応えたのだった。数の需要を満たされた人々は、単に「映像」だけでは満足しなくなってくる。シャルル・パテはそんな時代の変化にも対応している。たとえば、有名な作家にシナリオを書いてもらうといった手法だ。作家の名声を利用して、人々の興味を喚起しようという手法は、現在でも使われている手法だ。作品自体がつまらなくても、有名な作家によるシナリオは話題を呼ぶことができた。映画は、映画作品単体だけではなく、周辺を巻き込んで大きくなっていくが、シャルル・パテはその最初期の例を作っている。

 1908年、映画の内容の高尚化を目的として、文芸作品の映画化のために、フランスでフィルム・ダール社が設立される。するとパテ社、同じく文芸作品の映画化を行うスカグル社を設立してすぐさま対抗している。しかも、配給網を持っていなかったフィルム・ダール社の作品を配給したのは、パテ社だった。パテ社は、自社傘下のスカグル社のために、フィルム・ダール社の作品がヒットしないように仕向けたとも言われている。

 フィルム・ダール社を巡るパテ社の動きを見ていると、パテ社がいかに市場の動きに敏感で、しかも抜け目なかったがわかる。シャルル・パテは見事な商売人だ。

 また、パテ社はニュース映画を世界に広めた映画会社でもある。ニュース映画の製作は、巨大な組織でなくては難しい。なぜなら、事件が発生した場合にすぐに現場にかけつけることができる機動力が必要だし、全国くまなくカバーできる守備範囲の広さも必要だからだ。パテ社がニュース映画を撮るようになったのは、もちろん市場の需要があったこともあるだろう。しかし、テレビに取って変わられるまで40年にわたって、人々にニュースを映像で知らせてきた(そこには、民意の誘導といった問題はあっただろうとしても)ニュース映画を開始したパテ社の果たした役割は評価に値するだろう。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。