シャルル・パテ 映画産業の父(4)

 シャルル・パテは映画興行・製作・機材の開発といった映画に関わるあらゆる面で、他社に対しての優位を保持していた。映画初期において、映画興行・製作・機材の開発といった面はめまぐるしい勢いで変化をしていた。当初は写真が動くだけで満足していた観客は、徐々にプラスαを要求するようになっていった。映画は垂れ流しの消費物から「作品」へと変化していった。機材は超高級品から、値段が下がっていった。

 当初、家内手工業的に製作されていた映画は、時代の流れによって工場的大量生産の時代へと変化していた。シャルル・パテは市場の変化に合わせて機敏に動き、資本をため、この工場的大量生産時代に世界トップの地位を占め、そして大量生産時代を促進させた。

 パテ社の勢いは相当なものだった。1908年にエジソン社を中心としたカルテルであるMPPCが設立され、パテ社もその一員として加わった。ヨーロッパの映画会社の中でMPPCに加入していたのは、パテ社とジョルジュ・メリエスのスター・フィルム社のみだった。他のヨーロッパの映画会社もMPPCへの加入を求めたが、パテ社は他の映画会社の加入に反対したという。パテ社は他社との共栄共存は望んでいなかった。市場を独占する勢いだったパテ社にとっては、他社に気兼ねする必要などなかったのだ。

 パテ社の当時の勢いを最も象徴的に示すのは、1908年に生フィルムの生産を開始したことだろう。当時、生フィルムの生産はアメリカのイーストマン社のほぼ独壇場だった。これは逆にいうと、イーストマン社の協力がなければ映画製作は難しかったということを意味している。生フィルムは映画製作に絶対必要なものだからだ。その状況下で、パテ社は生フィルムの生産に踏み切ったのだ。これは、イーストマン社に喧嘩を売るのと同じ事だ。それでも、パテ社が生フィルムの生産を行ったのは、パテ社内だけでも生フィルムを自主生産したほうがコスト的に見合うという判断をしたからだろう。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。