ジェネラル・フィルムが映画にもたらしたもの

 ジェネラル・フィルムとは、エジソン社を中心としてMPPCという名前の映画会社のカルテルが作った映画の配給会社である。ジェネラル・フィルムは、MPPCに加盟する各社が製作した映画を、契約をした映画館に配給するという役割を担った。

 MPPCには映画の製作・配給部門を押さえれば、興行部門も自然にMPPCに従わざるを得ないであろうという目算があった。実際、すでに存在していた多くの配給会社を支配下に収めていったジェネラル・フィルムは、1911年には半数以上の映画館を押さえたと言われている。

 それでもMPPCとジェネラル・フィルムは失敗に終わる。その理由は1つではない。ここではジェネラル・フィルムに関係のある面(配給の面)からのみ考えてみたい。

 ジェネラル・フィルム(とMPPC)は、アメリカの映画館の半数以上を押さえたと書いた。この「半数以上」という数字は、それほどたいしたことはなかったのだ。ある繁華街に映画館が5軒並んでいたとしよう。5軒のうち3軒はジェネラル・フィルム配給の(MPPC加盟社の)同じ映画を上映しており、2軒は別々の映画を上映しているとする。映画が大好きな人物が、1日で見られるだけ見ようと思ったら、ジェネラル・フィルム社配給の映画1本と、別の映画館の映画2本を見ることだろう。つまり、MPPC系列の映画館は、1人の観客から得られる収入を奪い合うことになる。

 実際はジェネラル・フィルムも、もっとうまく番組を組んだだろう。だが、ジェネラル・フィルム(とMPPC)の目的は、繁華街にある5軒の映画館が1軒になり、その映画館がジェネラル・フィルム配給の映画を上映することだったと思われる。その目的は達成できなかった。

 映画館にとって、ジェネラル・フィルムと契約を結ぶことは必ずしも有利とは限らなかった。上に書いたように、隣の映画館もジェネラル・フィルムと契約を結んでいたら、単純に収入は1/2となる。さらに、隣の映画館には冷房がついており、自分の映画館には冷房がなかったら、真夏の興行は惨憺たる結果に終わるだろう。それならば、ジェネラル・フィルムとの契約を切り、別の会社の作品を上映すれば(真夏の暑さももろともしないほどおもしろい作品を上映できれば)、隣の映画館に勝てるかもしれない。

 さらに、ジェネラル・フィルムは映画館の規模等によって、待遇を変えていたとも言われる。たとえば、一等地にある立派な映画館には、新作の未使用のフィルムを配給するが、小規模で立地も悪い映画館には使いまわしのフィルムしか配給しないといった具合である。


 ジョルジュ・サドゥールは、ジェネラル・フィルムとMPPCについての次のように書いている。

「ニッケルオデオンで金持ちになったかつての巡回業者師、あるいは古道具屋たちは、ジェネラル・フィルム社のシルク・ハットを被った会計係よりも大衆の好みをよく知っていた。だから、トラストの映画製作会社は、後年のビールあるいはアルコールの密造摘発官同様に、映画製作を取り締まるのに効果のない訴訟というまったくむなしい障壁の中で、束の間の独占という安堵感に浸っていたのである」(世界映画全史)

 ジェネラル・フィルムの失敗は、「製作」「配給」だけではなく、「興行」も含めて映画産業であるということを私たちに強く教えてくれる。「製作」と「配給」は工場のようにシステマティックに行うことで結果を生み出すことが出来るが(少なくとも量的には)、「興行」の結果はあくまでも水ものだ。興行には工場にはない魔物が住んでいる。独立系の映画会社がその魔物を飼いならしたのに対し、ジェネラル・フィルムとMPPCは魔物にやられてしまったのだ。