日本 連鎖劇の人気と、山川、小林の天活退社

 映画と舞台を組み合わせた連鎖劇は人気を得て、1916年(大正5年)には天活の大阪方面の経営を担当していた山川吉太郎は大阪市外小坂に撮影所を新しく竣工し、連鎖劇に専念するようになった。一方で、天活の関東方面の経営を担当していた小林喜三郎も関東で連鎖劇興行を行うようになった。

 だが、山川吉太郎と小林喜三郎の2名は、天活の上層部と意見が衝突し、退社することとなる。

 小林喜三郎は、小林商会を設立。東京市内に5つの劇場を持ち、アメリカ映画や連鎖劇の興行に力を入れたという。小林は、連鎖劇用の劇場を拡大していき、新派の人々が小林の元に集まるようになった。



(映画本紹介)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。