日本 プログラムの誕生

 輸入映画が増え、新しい製作会社や人気俳優が増えると、詳しく知りたい人のために映画雑誌が創刊された。

 一方、映画館では、それまで上映映画を黒板にチョークで描いていたが、印刷したプログラムに解説やあらすじを記入して、観客に渡すようになった。このプログラムは、1916年(大正5年)に浅草帝国座で始まったと言われている(「第一新聞」の名前で配布した)。映画ファンの間では、プログラムの交換が流行となったという。また、人気俳優のプロマイド絵葉書が繁華街の店頭に並び、人気俳優のフィルムの1コマが売られ、学生やサラリーマンの外国映画ファンが急増したという。

 映画雑誌も発展を見せ、「活動之世界」がこの年創刊されている。進歩的でありながら、読み物などを載せ、広い観点から映画の発展に寄与しようという姿勢が見られた。だが、1918年(大正7年)に創刊者が死去し、廃刊となっている。



(映画本紹介)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。