日本 井上正夫の「大尉の娘」

 井上正夫は、小林商会の連鎖劇の俳優であり、演劇界でも進歩的な考えを持っていた人物だった。その井上が革新的な映画劇を試作しようと、「大尉の娘」(1917)を小林商会で監督・出演している。

 「大尉の娘」の原作はドイツでも映画化された「憲兵モエビウス」である。進歩的な映画雑誌「活動之世界」の後押しを受けたこの作品に対し、小林喜三郎は演出の一切を井上にまかせた。出来上がった作品は声色、科白が必要ないものであり、演技の舞台臭さはあったが、カットバックや移動撮影が行われている点が新鮮だった。

 井上は続いて再び小林商会で「毒草」(1917)も監督・出演している。「毒草」で、井上は大写し(クロース・アップ)を使用している。

 当時の、日本映画には字幕がなかった。それは、弁士が陰ゼリフと称して何人かで分担して声色を使ってセリフを言っていたためであり、映画館も弁士の大げさな説明を売り物にしており、俳優よりも弁士の方が人気があったりした。だが、弁士の説明は自分流で、デタラメな説明も多かったという。こういった日本映画の状況に井上正夫は「大尉の娘」で波紋を投げかけたと言える。

 だが弁士にとっては、ショットを細かく割るといった映画的な処理はしゃべりにくく抵抗にもあった。興行の際、浅草の封切館では、声色科白がない外国映画のような説明を弁士が行ったが、封切館以外では興行者側の要請で弁士・声色付きで上映された。

 ちなみに、「毒草」は日活や天活でも同年に製作されているが、従来と変わらない弁士・声色付き用のつくりだったという。

 小林商会は、井上が作ったような声色弁士が必要ない映画は、商売には時期尚早と判断。以後、声色映画の製作に戻っていく。



(映画本紹介)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

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日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。