エッサネイ時代のチャップリン

 1915年、キーストン社からエッサネイ社へとチャップリンは移籍する。チャップリンの週給はキーストン社のときの150ドルから1,250ドルへと跳ね上がる。しかし、それ以上にチャップリンにとって重要だったのは、映画製作上の自由を手に入れたことだ。キーストン社はあくまでもマック・セネットが主宰する会社であり、役者たちは基本的にセネットが作る映画のコマだった。チャップリンはその役割が大きくなるにつれて、監督にも乗り出すものの、それでもセネットがボスであったことには変わりはない。

 エッサネイ社において、チャップリンは自由を得て、自らのキャラクターを確立させていく。おなじみの扮装はキーストン時代からトレードマークとなっていたものの、その内面まではまだ完成されてはいなかった。チャップリンは、エッサネイ社において、徐々に「チャーリー」の内面も固めていく。


 エッサネイ社でチャップリンが製作した映画は15本(うち1本は未完の作品をもとに、エッサネイ社が1918年に完成させた)。チャップリンは15本の映画の製作に1年半の年月をかけている。キーストン社時代の1年間に製作された本数が35本であったことを考えると、製作のペースが落ちていることがわかるだろう。

 これは、決してチャップリンが怠けていたからではない。チャップリンの映画への取り組み方が変わったのだ。まず、キーストン社時代には映画のアイデアを出すのはチャップリンだけではなかった。キーストン社は基本的にセネットの会社であったから、基本的にセネットの指令でチャップリンは映画に出演した。アイデアチャップリンももちろん出したが、他にもセネットも出したであろうし、共演者も出したであろう。一言で言えば、キーストン社は多くの人々によって映画が製作されていたのだ。だが、エッサネイ社では、チャップリンは完全に自分の映画をコントロールする立場になった。それは、逆にチャップリンが題材からギャグからを考えなければならないことを意味していた。また、キーストン時代はチャップリンは自らの主演作以外にもメイベル・ノーマンドやロスコー・アーバックルの脇役としても活躍した。エッサネイ社では、すべてチャップリンが主役である。

 上映時間の問題もある。エッサネイ社でチャップリンによって製作された映画の多くは2巻(時間にして20分強)である。キーストン時代の作品は1巻もの(10分程度)が多かった。単純に考えて、2倍の長さの映画を製作するということは、2倍の時間がかかったということになる。

 セットについても、キーストン時代が同じセットを使いまわしていたのに比べると、まだその傾向は強いものの、キーストン時代よりも工夫が感じられる。「チャップリンの掃除番」(1915)における金庫のセットや「チャップリンの改悟」(1916)における木賃宿のセットは代表例だが、セットに工夫を凝らすことによってセットを組む時間もかかることは想像できる。

 要するに、チャップリンは映画製作を深く考えるようになってきたといえる。1作1作を、より時間をかけていい作品にしようとして作り上げていったために、製作のペースが落ちたのだ。そして、その結果として、長篇にも見られるおなじみの「チャーリー」像が内面も含めて出来上がっていったのだ。


 エッサネイ社におけるチャップリンの作品を見ると、やっつけ仕事的に行われている作品がすぐにわかる。金のなる木だったチャップリン映画を、エッサネイ社側とすれば、少しでも早く公開したかったことだろう。そのために、「アルコール先生公園の巻」(1915)に見られるキーストン社時代の作品の焼き直しや、「アルコール先生海水浴の巻」(1915)に見られるキーストン流の即興的に撮られたと思われる作品がある。

 他にも、キーストン流のドタバタを中心とした作品もエッサネイ時代には多く見られる。「チャップリンの駆落」(1915)や「チャップリンの仕事」(1915)などがそうだ。だが、ドラマを感じさせるものだったり、撮影に工夫に凝らされていたりと、キーストン時代とは一味違った作品となっている。


 上に挙げたような、会社側の要求に応えるように撮られた作品もあるが、エッサネイ社でチャップリンは「チャーリー」像を完成へと結び付けていく素晴らしい作品をいくつも残している。

 「チャップリンの拳闘」(1915)では、犬とチャップリンが1本のソーセージを分けて食べるシーンによって映画全体に感動を付与している。「チャップリンの失恋」(1915)では、恋に破れ1人寂しく去っていくという「サーカス」のラストを始めとしてチャップリン映画の特徴でもあるペーソス(哀愁)を映画に持ち込んでいる。「チャップリンの改悟」(1916)では、完全な人情話として輝きを放っている。

 私が最も気に入っているのは「チャップリンの掃除番」で、ギャグも冴えている上に、作劇上の工夫も凝らされ、さらにペーソス(哀愁)も感じさせるというエッサネイ時代のチャップリン映画の中では最上級の作品であると私は思っている。


 エッサネイ時代のチャップリンを語るときに、忘れてはならないのは、以後チャップリン映画を形づくっていく人々との出会いだろう。エッサネイ社の第1作「チャップリンの役者」(1915)から、チャップリンと組むことになるロリー・トザローは、以後のチャップリン作品にもカメラマンとして参加していく。

 ヒロインとして起用されたエドナ・パービアンスは、「黄金狂時代」(1925)以前のチャップリン映画には欠かせない役者となる。エドナに関しては、仕事上の付き合いがなくなった後も、チャップリンは送金を続けて、それはエドナが亡くなるまで続いたという。また、チャップリンは本当はエドナのことが好きだったが、結婚を言い出せなかったとも言われている。エドナのことが好きだったということの真偽はともかくとして、それくらいの話が残るほど、チャップリンにとって大事な人と出会っている。

 また、エッサネイ社においての共演者としては、ベン・ターピンの名前を挙げなくてはならないだろう。ターピンは1人立ちして、「やぶ睨みのターピン」として人気を集めることになる役者だ。チャップリン映画でも、「アルコール夜通し転宅(酔いどれ2人組)」(1915)という作品での演技ぶりは、シーンによってはチャップリンよりも目立っているように感じられる。これ以後、ターピンがチャップリン映画で主要な役を務めなくなるのは、チャップリンが自分より目立つのを怖れたせいなのではないかと邪推してしまいたくなるほどだ。


 チャップリンは、エッサネイ社でもヒット作を連発し、1917年にはミューチュアル社へと移籍していく。そして、「チャーリー」像を完成させることになる。



チャップリンのために

チャップリンのために