エフゲーニ・バウエルと暗さに彩られた3本の映画

 今、サイレント映画を見るということはどういうことだろうか?それは、映画史を学ぶということかもしれない。映画(映像)がこの世に誕生し、現在のような形になるまで道程を探る。それは、非常にスリリングで、ワクワクするような探求だ。一方で、映画史などということは忘れて、目の前に広がるサイレント映画に心を奪われる体験をしたいという理由もあるだろう。

 心を奪われるようなサイレント映画に出会う。それは、簡単なことではない。私たちが日々公開されている映画を見ていてもすべての作品に心を奪われるわけではない。それと同じことだ。 エフゲーニ・バウエルは、ソ連となる前の帝政ロシアで活躍した映画監督である。帝政ロシアは階級社会であり、資本主義国家でもあった。バウエルはそんな環境下で舞台美術家として活躍した後、1913年に48歳で映画監督デビューを果たしている。当時の状況に合った上流階級を舞台にした社交劇や、探偵映画など幅広いジャンルの作品を監督である。

 私はバウエルの作品を3本しか見ていない。その3本とは、「TWILIGHT OF A WOMAN’S SOUL」(1913)、「AFTER DEATH」(1915)、「THE DYING SWAN」(1917)である。

 3本しか見ていないのだから、バウエルのすべてを知っているかのような顔をすることはできない。だが、これだけは言える。私はこの3本に心を奪われた。

 3本ともはっきり言って内容は他愛もないと言ってしまっていいかもしれないようなものだ。演出方法も、バウエル独自のオリジナリティに溢れた技法を駆使しているわけではない。3本ともメロドラマであり、革新的な技法が使われているわけではないが、全体に漂う雰囲気が独特で目が離せなくなるのだ。

 独特な雰囲気とは「暗さ」「おどろおどろしさ」だ。「TWILIGHT OF A WOMAN’S SOUL」は、他の国の映画も含めた同時期の作品にはない明確にレイプを表現した見事な描写がある。「AFTER DEATH」は、幽霊に悩まされる男というありがちな内容ながら、ジョルジュ・メリエスが映画草創期に駆使した二重露出やストップ・モーションによる映像トリックをドラマと結びつけて、見事に幽霊の恐怖を描き出している。「THE DYING SWAN」は死に捉われた画家という特異な主人公といった設定に加えて、移動撮影やフィルムの染色によって悪夢を見事に描き出す(具体的な点については、各作品の映画評を読んでもらいたい)。

 バウエルの3作品は、それまでに発見された映画の技法を駆使することで、独自の世界を描出しているように感じられる。3作品には、バウエルというフィルターが感じられるのだ。それは、アルフレッド・ヒッチコックの作品にも感じられるものと同じだ。ヒッチコックを通すとサスペンス(とユーモア)に満ちた作品になるように、バウエルを通すと暗く、おどろおどろしい作品が出来上がるようだ。もしかしたら、3本以外のバウエルの作品には上記のような特徴はないかもしれないが、少なくとも3本は私を魅了するものを持っていた。

 エフゲーニ・バウエルはロシア革命が起こった1917年に死去している。ロシア革命後に出来たソ連では、国家主導によるプロパガンダ的な作品が作られていく。バウエルはおそらくそうした作品には向かなかったことだろう。もしかしたら、ドイツに行って監督をしたら、表現主義ブームに乗って見事な作品を生み出してくれたかもしれない。

 そんな話をしてもいたしかたない。私が言いたいのはそんなことではない。今では失われた名前であるエフゲーニ・バウエルによる3本の作品が素晴らしいということを言いたいのだ。映画を多く見てきて、素晴らしいと声を大にして叫びたくなる作品に出会うことほど嬉しいことはない。それだけでも、私はバウエルに感謝したい。