「連続映画」観客の興味を引く努力の濃縮品

 「連続映画」「連続活劇」と呼ばれるジャンルは、1910年代から1920年代に流行したもので、15分から20分程度の作品を、数週間に渡り連続で上映するスタイルのものである。「連続映画」が誕生した1910年代始めは、映画の上映時間はまだ短く、1時間もあれば長篇という時代だった。当時は、2時間程度の一連の映像を連続して見続けるという現在の形式ではなく、複数の短い映像を見るという番組構成で映画を見ていたのだ。それは、当時の映写技術の問題でもあっただろうし、まだ2時間の間観客を画面に釘付けにする話法が確立されていなかったからだとも言える。

 連続映画はブームとなった。ブームの頂点は1910年代中頃から後半にかけてである。アメリカでは「ポーリン」(1914)「名金」(1915)、フランスでは「ファントマ」(1914)「レ・ヴァンピール」(1915)「ジュデックス」(1916)といった作品が作られ、人気を呼んだ。だが、連続映画はこれらの一時のみ作られたわけではない。それ以降も連続映画は作られている。しかし、ブームと言えるのは1910年代の後半までである。それはなぜか?

 私は、「ポーリン」の一部と、「ファントマ」「レ・ヴァンピール」「ジュデックス」を見た。その感想を端的に書くと、どの作品も悪党の手口が光っているということだろう。悪党は時に残虐非道に、時に荒唐無稽に、様々な手を使う。それは主人公が窮地に追い込まれるかどうかは無関係に、おもしろい。

 よく連続活劇がどういったものかを説明するのに、主人公が窮地に追い込まれるところを間一髪のところで助かる(助けられる)という風に言われるが、この説明は連続映画の面白さを十分には伝えていないように思える。また、主人公が危機に陥ったところで映画が終わり、「続きは次回」といった形で進むという説明もされるが、私が見た4作品に関してはそうした作品はない。どの作品も、一作の中でエピソードはきちんと完結しており、少なくとも全ての連続映画が同じ形式だったわけではない。

 連続映画は元々、どのような理由で製作されるようになったのだろうか?これから先は私の予想だが、単純に観客を多く呼び込むための手段としてではないだろうかと思われる。ある作品が面白く、「続きは来週」と言われれば、それは見に行きたくなるだろう。何の予備知識もない作品と、先週見て面白かった映画の続きが同時に上映されていたら、観客がどちらを見ようと思うかは、予想がつく。このことは、逆にリスクも負うことになる。つまり、連続映画の最初の作品を見て、「つまらない」と思われたら、続きは見てもらえなくなることだろう。

 上記のような理由もあり、「連続映画」は毎回観客の興味をひきつけ続ける宿命を負っているとも言える。そして、観客をひきつけるための手段として、残虐さや荒唐無稽さが選ばれたのだろうと思う。「ファントマ」「レ・ヴァンピール」「ジュデックス」は、連続映画の名手と言われたルイ・フイヤード監督作の連続映画である。この3作品の内容の変遷は、連続映画とは何だったのかについて考える一助となる。

 「ファントマ」を特徴づけているのは、残虐性である。主人公の悪党ファントマは、毎回悪の限りを尽くし続ける。そして、それは見るものの興味を引き付け続けるのに十分だ。

 「レ・ヴァンピール」は、「ファントマ」と同じように犯罪者の活躍がメインである。だが、残虐性を受け継ぎつつも、荒唐無稽さやセックス・アピールを加味して明るいイメージとなっている。3作の中では最もバランスがよい作品とも言える。

 「ジュデックス」は、犯罪を描いていながらも、メロドラマ的な色合いが濃くなっている。また、一作ごと単体の面白さを追及する姿勢は変わらないが、全体で1つの作品として完成させようという意思も感じられる。

 「ファントマ」はその残虐性から上映禁止となることもあり、かなりマイルドになった「レ・ヴァンピール」も残虐性を批判された。そういった経緯の後に作られた「ジュデックス」は、前2作と比較すると、正直言って生ぬるい印象を受ける。

 連続映画のブームの頂点は、「レ・ヴァンピール」が作られた1915年頃と言われている。そして、「レ・ヴァンピール」は、一話ごとの面白さと全体としての面白さが絶妙にブレンドされた作品であるように思われる。

 後のテレビドラマのルーツとも言われる連続映画は、毎週金を払って映画館に見に行かなければならないという点でテレビドラマとは決定的に異なる。金を払ってまで見に行くためには、一話ごとの面白さが重要なのだ。連続映画の魅力は、単純に続いているという点にあるのではない。全体の構成の魅力にあるのではない。連続して見てもらうために、純粋に観客の興味を引くという点に作り手の努力が濃縮されているという点にある。その結果として現れた残虐性や荒唐無稽さが批判にさらされて表現できなくなったとき、連続映画は代わりの素材を見つけることができず、ブームは去っていくことになる。

 「ファントマ」の残虐性を見よ。私は驚き、そして夢中になった。