ヒューゴー・ミュンスターバーグ 「映画劇」を読んで

 当初は動く写真だったものが、「映画」として変化していった1910年代半ばに、映画について書かれた1冊の本がある。アメリカで活躍していたドイツ出身の心理学者・哲学者であるヒューゴーミュンスターバーグによる「映画劇」である。

 「映画劇」は、映画について書かれた最初期の本としても知られている。当時、映画はまだ労働者階級が見る娯楽であるとして、中流階級以上の人々からは低く見られる傾向があった。そんな時代に、著名な学者が研究の対象の1つとして映画を選んだことは、映画の存在の意味が変化していく過渡期の1つの出来事と言えるだろう。

 本の内容は、映画が誕生した過程から、人間に1枚1枚の写真の連続を動く映像として見せるメカニズムといった基本的な要件を、まず説明している。加えて、映画ならではの特徴について挙げている。例えば、クロース・アップや編集による時間軸の移動などがそれである。これらの映画ならではの特徴についての説明は面白いし為になるが、この後に書かれた多くの本においても書かれるものでもある。

 私が「映画劇」を読んで一番面白かったのは、この後の部分である。当時、舞台より下に見られていた映画について、映画には映画独自の表現方法があり、舞台より上とか下とかいう問題ではない。より重要なのは、それぞれの独自の表現方法をどのように使って、何を表現しているかだと論じている。

 初期の映画には、舞台の有名な俳優が演じる姿を捉えた作品が多くあった。舞台では一度に数百人の観客にしか見せられないのに対し、映画ではフィルムをコピーすることで全世界の何万人という人に見せることができる。その代わり、映画はセリフも色もない世界となってしまい、あくまでも質の低い代用品である。という認識は映画の作り手にも受け手にもあった。「映画劇」が発行されたのは1916年であり、D・W・グリフィスが「国民の創生」を発表したのが1915年である。徐々に、作り手も舞台の代用品を超えた作品を生み出していたし、受け手の意識も変わっていったのが、この頃の状況である。

 「映画劇」では、主に舞台と映画という観点から語られている。だが、今でも小説やマンガが映画されるときには、「原作の方がいい」というような議論はされる。もし、ミュンスターバーグが生きていたら、やはり当時と同じことを言うのではないだろうか。「映画と小説は別の表現形式を持っており、問題はそれぞれの表現形式をうまく使って表現されているかということだ」と。

 「映画劇」は、非常にシンプルな本である。「映画は舞台などには出来ないことができる新しい芸術形式である」と主張している。当時、映画はモノクロ/サイレントだった。今の私たちが見ている映画とは異なる部分が多くある。それでも、ミュンスターバーグの主張は、「映画とは何か?」という根源的な問題を考えるヒントを与えてくれる。