日本 天活の日暮里撮影所設立と国活の設立

 天活は、大阪の新派映画が時代離れしていたため、東京の日暮里で新派を撮影することを決定して、撮影所を作っていた。新派劇団を雇い入れるが、1919年に全焼してしまっている。

 かつて天活に所属し、独立して小林商会を設立も失敗していた小林喜三郎は、「イントレランス」(1916)の興行で得た資金を元に1919年に国活(国際活映株式会社)を設立している。