セシル・B・デミル すべての道はセックスに通じる

 かつてビデオデッキが発売された頃、販売戦略としてアダルトビデオをセットにつけたところ、売り上げが増大したという話がある。当時は家庭で映像を見るためには、基本的にはテレビしかなかった。8ミリの映写機などのフィルムの映写機もあり、フィルムでポルノ映画やピンク映画も流通していたが、一部のマニアのものだった。セックスを主とした映像を見るためには、ポルノ映画やピンク映画を見に行くしかなかったのだ。もちろん他の人々と一緒にである。アダルトビデオは、1人でセックスの映像を見ることができるという点で画期的なものであり、人々の欲求を満たすために一気に広まった。

 すべての道はセックスに通じる。新しいメディアが登場すると、そう言い切ってもいいのではないかと思わせる現象が起きる。映画も例外ではない。

 映画が誕生した初期から、セックスを主とした映画は作られた。それはブルー・フィルムと言われ、サイレント時代から作られている。だが、それは非合法であり、限られた人たちのものだった。

 セシル・B・デミルは、「スコウマン」(1914)で監督としてデビューし、西部劇や史劇を監督した。その後会社の意向もあり、1910年代後半からは、より金のかからない上流階級の社交劇を監督するようになっていった。これは、デミルとしては本意ではなかったと自らが語っている。しかしデミルは、その他多くの人々が作った上流階級の社交劇と同じような作品は作らなかった。

 デミルが社交劇に持ち込んだのは、贅沢さとセックス・アピールである。衣装や小道具に力を入れ、主演女優たちを豪華に見せ、女性客たちが憧れるような存在に仕上げた。一方で、男性たちに対しては、セックス・アピールを感じさせる映像を盛り込んだ。

 セックス・アピールと言っても、今の観点からすると、他愛もないものである。もちろん露出は多めだったが、乳房が見えるわけではないし(ちなみに、当時は胸よりも足が重視されたという)、ましてやセックス・シーンがあるわけではない。デミルが行ったのは、観客の想像を刺激するやり方だった。

 最も典型的なのは、「男性と女性」(1919)のグロリア・スワンソンの描き方だろう。召使たちがバスタオルを広げ、スワンソンはその向こう側で風呂に入るために裸になるのだ。今から見ればかわいいものだが、当時としては非常に扇情的だった。

 単なる社交劇はそれまでにも多く作られていたし、不倫を描いた作品も多くあった。だが、視覚的にセックス・アピールを行い、観客の想像力を刺激した作品はそれほどなかったのだ。世知に長けたデミルは、そのポイントを突き、人々の心を掴んだ。もちろん、有名な舞台を映画化したりといった面もあるが、それも含めてデミルの計算高さを感じる。

 デミルの映画は、当時の他の映画やハリウッドの風俗と共に社会からの批判を浴びるようになり、聖書劇の「十誡」(1923)を作ることで、自分が(そして映画が)健全であることを示そうとする。しかし、デミルがセックス・アピール映画を作っていなければ、「十誡」がヒットしたか、ましてや製作すらできたかは疑問が残るところだ。セックス・アピール映画を作って、人々の心を掴むことができたからこそ、可能だったのではないだろうか。

 デミルの計算高さと正反対の映画人生を送った人物がいる。それは、D・W・グリフィスだ。グリフィスは、自らが作りたい映画を作ることで多額の借金を背負った。さらにグリフィスは、清廉さを人間に求めた人物であり、デミルが作ったセックス・アピール映画を作ることなどは、頭にのぼることすらなかったような人物である。

 私はデミルと比べてグリフィスの方が、優れているとか映画作家として正しいとか言いたいのではない。ただ、これだけは言えるだろう。デミルはグリフィスより商売人で、グリフィスはデミルよりロマンティストだったと。そして、この2つのタイプが映画を単なる商品でも芸術品でもない、「映画」とならしめたものなのだ。