日本 牛原虚彦の松竹入社

 この後映画監督として活躍していく人物である牛原虚彦が、1920年に松竹に入社している。そんな牛原は当時の映画界では珍しい東大出身者だった。

 牛原が松竹入社するとき、東大出が映画界のような下賎な世界に入ってよいかということが問題となり、郷里熊本出身の学生を援助していた細川家の主人の許可を仰ぎ、1人くらい変わり者がいてもよいということになったのだという。

 このエピソードは、当時の映画界が世間からどのように見られていたかがよくわかる点で面白い。