日本 大正活映 トーマス栗原と谷崎潤一郎

 1920年4月、大正活動写真株式会社(大正活映)が、東洋汽船財閥の出資で横浜に設立された。東洋汽船財閥の浅野良三は、横浜に個人スタジオを持っていたロシア人プロドスキイに投資していた。大正活映はスタジオを引き継いで設立されている。

 大正活映の最大の特徴はトーマス栗原と谷崎潤一郎という2人の人物が関わっていたことだろう。

 トーマス栗原はハリウッドで俳優をしながら映画制作を学んだ人物である。日本に帰国後、プロドスキイの事業に協力していた関係で、大正活映に参加をした。トーマス栗原は、若い俳優希望者の指導に情熱を傾け、所内で恐れられていたが、病弱だったため仕事ははかどらなかったという。

 一方、小説家である谷崎潤一郎は、映画に興味を抱き、大正活映の文芸顧問となり脚本も執筆した。谷崎を慕って映画青年が集まり、大正活映はさながら俳優養成所となった。

 大正活映は、日本映画にアメリカ的なモダニズム憧れる一群のアマチュアの青年たちを送り込んだと言われている。