日本 帝キネの設立

 1920年に天活は国活に吸収されているが、天活にいた山川吉太郎は国活に合流しなかった。その山川が設立した映画会社が、帝国キネマ演芸株式会社(帝キネ)である。

 帝キネは、大阪にスタジオを持ち、上方歌舞伎の嵐璃徳を専属役者とし、嵐の座付き作者の中川紫郎を監督して招き、2人のコンビ作を量産していく。また、ユニヴァーサル日本支社長のコクレンが提携の話を持ってきたが、コクレンがパラマウントに移ったために立ち消えになるという出来事もあったという。