日本 大手映画会社以外の作品

 浅草帝国座の津田秀水が、国活の小林喜三郎の応援を得て映画協会を設立し、「熱球」「山頂の碑」(1920)といった作品を製作している。

 1919年(大正8年)に、「生の輝き」(1919)「深山の乙女」(1919)で純映画劇を実践して見せた帰山教正は、よりその活動を推進していくために「映画芸術協会」を結成している。帰山らは「白菊物語」(1920)を製作している。イタリアの貿易商の依頼で作られた時代劇だった。