日本 政府の映画政策と輸入映画、記録映画

 文部省は、教育上有効な映画を保護奨励する政策を打ち出していたが、1920年から本格的に対応を始めている。推薦映画を選出し、リストを各教育関係に推薦した。さらに、文部省推薦映画協会に委嘱して、学校に巡回映写を行ったりしたという。

 一方で、東京では警視庁によって1917年に活動写真興行取締規則が制定され、弁士は免許制になっていたが、この年の8月の免許切り替えに際し、警視庁は学術試験制度を導入した。試験の内容は、「活動写真の観客に及ぼす影響」や「公安風俗の意味を説明せよ」といったものだったという。この制度は、他の府県へも広がっていった。

 1920年には次のような外国映画が日本で公開されている。
 「担え銃」「アルプス颪」「運命の玩具」「青い鳥」「世界の心」「男性と女性」「囁きの合唱」
 「柳の精」「死よりも強し」「レ・ミゼラブル」「紅燈祭」(アメリカ)
 「戦争と平和」「おしどりの舞」(フランス)
 「ヴァリタス」(ドイツ)

 記録映画としては「都に憧れて」「鉄道と公徳」(1920年)といった作品が作られている。