日本 大正活映の映画製作の中止

 1920年に設立され、「アマチュア倶楽部」(1920)を製作した大正活映は、「葛飾砂子」「雛祭の夜」(1921)といった作品を製作している。ともに、谷崎潤一郎脚本、栗原喜三郎(ヘンリー栗原)監督のコンビだった。

 「葛飾砂子」では、主演の女優である上山珊瑚がホロリと泣く場面がうまくできず、栗原が「女優なんてやめてしまえ」と怒鳴って泣き出したのを撮影したというエピソードが残っている。胸を患っていた栗原は、撮影時には強心剤を注射していたという

 上田秋成の原作を、谷崎潤一郎が脚色、栗原喜三郎(ヘンリー栗原)が監督した「蛇性の婬」は、京都でロケが行われた。撮影所での撮影では大きなセットが建設された。蛇性の妖女に魅せられた若者の物語で、壮大なセット、見慣れない衣装、怪奇な題材で見た目にはおもしろかったという。だが、谷崎が唱えた「音楽的諧調」は見られず、場面転換も冗長で、カメラも舞台的に固定し、風俗考証も正当に行われなかったとも言われている。俳優たちへの栗原の演技指導はすばらしく、瞬間の動作の中に自然の表情を作り出したという。この作品には後に岡田時彦と改名する前の高橋英一が出演している。

 そんな大正活映だが、1921年に映画製作を中止している。