日本 国活 「寒椿」水谷八重子の初映画出演騒動

 国際活映(国活)では、「寒椿」(1921)といった映画が製作されていた。「寒椿」は、舞台や映画で革新的な活動をしてきた井上正夫が、海外視察から帰国して最初に主演した映画である。華族の若様に見初められて奉公するようになった娘おすみには、幸福を願う老水車番がいたのだが・・・という内容だった。

 「寒椿」の監督を務めた畑中蓼坡は、メーテルリンクの「青い鳥」を日本で初めて舞台で上演した人物である。そのときにチルチルを演じたのが、水谷八重子だった(ちなみにミチルを演じたのは夏川静枝)。こうした縁から「寒椿」に水谷八重子が出演することになる。だが、当時水谷が通っていたミッション・スクールからストップがかかる。八重子の義兄で劇作家の水谷竹紫は学校と交渉したがうまくいかず、クレジットを「覆面令嬢」として公開された。だが、そのミステリアスなクレジットは、逆に巷の話題を呼んだ。

 そんな国活だったが、1921年の暮れに経営破綻(一部重役の背任横領によるといわれる)し、社員は他社へ転じる。その後、日活や松竹へ合併の話を持ち込むも、関東大震災のために実現しなかった。