日本 森岩雄の胎動

 後に日本映画界の重鎮として活躍する森岩雄が、社会教化のための映画を製作していた活動写真資料研究会に入社している。

 それまでにも森はシナリオを書いており、活動写真資料研究会のための脚本執筆も行っていたのだという。1921年11月から開かれた第一回活動写真展覧会の出品の手伝いもし、図表の製作や、映画についての勉強もやらされたが、この経験が後で役に立つことになったという。一方で、「活動写真芸術の過去・現在・未来」という研究論文を発表。この論文は、活動写真が単なる「動く絵」から芸術に高まった足跡を探ったものだった。