松竹蒲田 牛原虚彦、島津保次郎の復帰

 芸術的な映画製作を目指していたが1921年に解散した松竹キネマ研究所に所属していた牛原虚彦は、松竹蒲田撮影所に復帰していた。

 「母いづこ」(1922)は、そんな牛原虚彦が監督した作品である。アメリカ映画「オーバー・ゼ・ヒル」(1921)が輸入される前にストーリーを読んで翻案したもの。苦労して育ててくれた母親に対して兄たちが親孝行をしないことを知った三男が、兄たちを養老院まで引きずって母親に謝らせるというのがアメリカ版の内容だが、牛原は兄妹が改心するようにと改変した。

 アメリカ版は苦労して豊かな生活を築いた親に対する若者の罪の意識が反映していると言われたが、日本版は近代化に伴う親孝行意識の低下に対する警鐘となっている。このストーリーは繰り返し翻案され、小津安二郎監督の「戸田家の兄妹」(1941)はその中でも高く評価されている。

 牛原と同じく、松竹キネマ研究所から松竹蒲田撮影所に復帰していた島津保次郎は、「堅き握手」「黄金」(1922)といったキビキビとした活劇映画を監督して、好評を得ていた。