日活 女形との訣別

 当時の日活は、昼夜2回興行を行うようになった松竹に追随した。だが、昼夜2回興行を行うにあたっては、現代劇の不振を何とかする必要があった。その現代劇の足を引っ張っていたのが女形の存在だった。松竹との「永遠の謎」(1922)の競作では、女優陣を使った松竹に惨敗していた。

 日活は女優の使用のため女優を募集し、「妻と妻」(1922)を製作したが、反対する女形の役者と会社との溝は深まっていった。