女形の最後の輝き 日活・田中栄三監督「京屋襟店」

 旧来の体質で女優ではなく女形による映画製作を続けていた日活の中で、映画革新に望んでいた田中栄三は、「京屋襟店」(1922)で監督・脚本を努めている。

 女優ではなく女形が出演していた「京屋襟店」は、女形が出演する新派調映画の、最後の、そして最高の輝きを誇った作品であり、セット・小道具・ライティングなど映像の人工的な美しさが、女形の人工的な魅力を生かしたと言われている。

 だが、女優の採用を不満に思っていた日活向島撮影所の女形たちは、「京屋襟店」の完成試写の夜に日活を辞めて、国活へと移籍する。日活の常務だった石井常吉も、日活の方針に反対して国活へ重役として移籍している。

 その国活は、もともと弱体な上に、女形の採用という時代に逆行した方針によって経営破綻することになる。一方の日活は人事も一新し、舞台協会と3本の作品の映画製作を契約し、新しいタイプの作品を作るようになっていく。

 日活の女形の1人であった衣笠貞之助は、他の女形と行動を異にした。1920年から脚本や監督も努めていたという衣笠は、理解者であった牧野省三の下で監督して活躍していくことになる。