輸入映画、記録映画、ニュース映画−1922年

 1922年には下記のような映画が公開されている。

   アメリカ:「征服の力」「蛟竜を描く人」「散り行く花」「東への道」「黙示録の四騎士」「かげろふの命」
        「愚か者の楽園」「シーク」「アナトール」「豪傑ベン・タービン」
 スウェーデン:「不滅の霊魂」
   イタリア:「赤と黒
    ドイツ:「影を失へる男」「ゲニーネ」「パッション」「朝から夜中まで」

 この中で、D・W・グリフィス監督の「散り行く花」は、日本では1万2千円の権利金を出す会社がなく、小林勇吉や藤浪無鳴らが同士を集めて買い入れて公開された。

 ちなみに、当時の日本では著作物に対する保護法令がなく、正規に輸入したフィルムも、闇市場を経て輸入されたフィルムも同列に扱われた。このために、アメリカの映画会社は不利益を避けるために、日本支社を開設した。この年は、ユナイテッド・アーティスツパラマウントが東京支社を開設している。

 記録映画としては、「皇国の輝」(1922)といった作品が作られている。「皇国の輝」は、日本映画革新運動で知られた帰山教正の映画芸術協会が製作し、監督も帰山が努めた。

 ニュース映画としては、3月から東京毎夕新聞社が製作する「毎夕ニュース」が開始されている。だが、1923年の関東大震災で中絶してしまうことになる。