ドイツ映画 表現主義映画のその後
「カリガリ博士」(1920)で火がついた表現主義の流れの作品として、「カリガリ博士」も担当したロベルト・ヴィーネ監督で、ドストエフスキー原作の「罪と罰」(1923)が作られている。
モスクワ芸術座出身のアンドレ・アンドレイエフが立体的構造を持った舞台的表現主義のセットに採用し、俳優にモスクワ芸術座の俳優たちを起用し、表現派様式にとらわれない心理的演技を見せた作品だった。だが、「カリガリ博士」のカール・マイヤーの手は離れた脚本は、主人公のラスコリニコフの内面に閉じこもり、反抗精神を失っていたという。
以後、ヴィーネは注目されるような仕事はできず、ナチスによって頽廃芸術家の汚名を着せられ、フランスに亡命したままパリで死亡することとなる。
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