日活 現代劇部のトップ、村田実の活躍

 日活向島撮影所の現代劇のスタッフは関東大震災の被害で、京都大将軍撮影所へと移った。大将軍では、従来から時代劇を作っていた人々が「第一部」、東京から来た現代劇部は「第二部」となった。この「第二部」のトップとして活躍したのが、大震災の少し前に入社していた村田実である。

 村田は、松竹キネマ研究所で芸術映画を作ろうとしたが、興行的に失敗して松竹を引責辞任していた。その後は、小さな映画会社で宣伝映画を作ったり、1日5円で編集の仕事をしたり、国活で女形の新派劇を作ったりしていたという。

 「お光と清三郎」(1923)は村田が監督した作品である。家が没落して芸者となった女が、成金に犯されそうになって殺してしまう。そんな女に幼馴染の青年が同情して、2人で心中するという物語である。