松竹 小津安二郎と五所平之助の入社

 後に監督として活躍する小津安二郎五所平之助が松竹の蒲田撮影所に入社している。

 小津は裕福な家庭の子供で、中学生時代にアメリカ映画マニアになって進学に失敗していた。小津は松竹に入るまで日本映画は3本しか見たことがなかったという。当時のインテリは日本映画を見ず、外国映画を見るケースが多かったのだった。

 当初は主として酒井宏カメラマンの下で働いた。牛原虚彦監督を尊敬し、撮影の合間にいろいろと質問したという。また小津は、後に喜劇の監督として活躍する斎藤寅次郎と仲良くなり、元々監督志望だったことを斎藤に話し、大久保忠素監督のサード助監督となった。大久保組での小津は、脚本直しとコンテ書きを担当した。大久保は小津に全面の信頼を置いたと言われている。

 五所は、城戸四郎の口ぞえで松竹蒲田に入社し、島津保次郎や野村芳亭の助監督に付きながら、いくつかの原作や脚本を手がけていく。