映画評「小雀峠」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本 [製作]マキノ映画製作所

[監督]沼田紅緑 [原作・脚本]寿々喜多呂九平 [出演]市川幡谷、阪東妻三郎

 飴を売る子供の徳太郎に改心を勧められて、仙吉らの盗賊は、徳太郎と一緒に飴を売る旅をする。ある町で侍の望月三左衛門は、徳太郎が歌う飴の歌を聞く。その歌は、かつて小雀峠で愛した女性がよく歌っていた歌だった。

 マキノ映画製作所は、「日本映画の父」と言われる牧野省三が設立した映画製作プロダクションである。牧野省三は、日活で雇われているのに飽き足らず、自由な映画製作を求め続けた映画人であった。そのために、マキノの映画は非常に野心的で、それまでの日本映画にはないものを観客に提供したといわれている。

 牧野省三は「一スジ、二ヌケ、三役者」という有名な言葉に表れている通り、脚本を重視した人物である。「小雀峠」の脚本も担当している寿々喜多呂九平は、牧野省三お気に入りの監督だった。寿々喜多はアメリカ映画をよく研究しており、ダグラス・フェアバンクス主演の「奇傑ゾロ」(1920)から影響を受けて、「紫頭巾浮世絵師」(1923)の脚本を書いたりしていた。

 寿々喜多による脚本は、かわいく真面目な子供を登場させ、ある武士がかつて愛した娘の子供であることが分かるというメロドラマの要素を盛り込んでいる。そこに、子供を慕う男たちの人情や、彼らを追い詰める悪役(阪東妻三郎が演じている)を交えて、飽きさせない物語となっている。

 弁士が活躍したサイレント期の日本映画の例に漏れず、「小雀峠」も映像だけではストーリーが追いにくい。私が見たバージョンには恐らく欠落した部分があるとも思われ、その影響も大きいだろう。それは決して悪いということではなく、当時の日本映画が弁士の存在も含めたライブ・パフォーマンスとして成立していたということに過ぎない。澤登翠の見事な活弁は、そのことを強く教えてくれる。

 ちなみに、この頃の阪東妻三郎は、脚本家の寿々喜多呂九平の強い推薦があったにも関わらず、主役級の役はなかなか割り当てられなかったという。その理由は、マキノの先輩役者が、主役の座を譲らなかったからといわれている。そういった困難を乗り越えて、阪東妻三郎はマキノ映画で見事に存在の大きさを見せ付けていくが、それはもう少し先のことである。