関東大震災後の映画業界

 1923年9月1日に起こった関東大震災は、映画製作の中心を東京から京都・大阪地区へと移動させた。日本映画は京阪を中心にして、革新期から成長期へと移行していく。映画本数も増え、1923年に警視庁が検閲をしたフィルムの長さが414万8千フィートだったのに対し、1924年は817万7千フィートと約2倍になっている。

 映画興行の面でも拡大した。1923年の映画館数が703館だったのに対し、1924年は1013館と増えている。ここには、映画館建築制限が撤廃された影響があると言われている。上映された作品の製作会社を見てみると、3分の1ずつを松竹と日活、残りがその他の映画会社だったという。

 ちなみにこの年、日活、松竹、帝国キネマ、マキノ映画製作所の大手4社によって、日本映画製作者協会が設立されている。目的は、検閲の統一や配給制度の確立、引き抜き防止等だった。