日活 続く村田実の活躍

 日活現代劇部長で、監督の個性に主体性を置いた村田実は、自らも監督として活躍しており、吉田絃二郎原作の「清作の妻」(1924)を監督・脚色している。妾をしていた女性が模範的な男性と結婚するも、村の人々から白眼視される。夫は日露戦争に出征して、ケガをして戻ってくる。愛する夫が再び戦争に行かぬように、妻は夫の両目をかんざしで潰す。妻は出所後自殺し、夫も後追い自殺するというストーリーである。「もう少し傷が深いと生きていても戦地に行かなかったなあ」という字幕が検閲でカットとされたという。また、当時無名の女優だった浦辺粂子がリアルな演技で好演したという。新藤兼人は、「人情劇から脱出した現代劇であり、平凡な庶民の追い詰められた魂を描いている」と「清作の妻」を評価している。

 村田は1923年に「清作の妻」と同じ心中もの「お光と清三郎」(1923)を監督している。2作とも、近松門左衛門の心中もの浄瑠璃以来の日本演劇の伝統に立脚していると言われる。村田は日活へ来てから大衆性のある題材、伝統的な情感の世界を選択するようになっていた。だが、心中ものを生んだ封建的な社会と真情を肯定するものではなく、「清作の妻」では悲劇に追い込んだ元凶として戦争も告発しており、日本初の反戦映画とも言われる。佐藤忠男は「講座日本映画」の中で、「心中ものという古いかたちを取りながら、そこに展開される主題はすぐれて今日的」と述べている。

 村田の反戦意識が表れた作品として、「お澄と母」(1924)がある。スペインの作家ブラスコ・イバニェスの小説が原作であり、芸者や妾となった女性が、やがて母親を引き取るという母と娘の哀話である。母親は戦死した息子の姿を戦争ニュース映画で見て、ニュース映画を追って映画館を転々と歩くという描写に、反戦意識を読み取ることが出来るという。

 村田の活躍はこれだけにとどまらず、探偵物「猛犬の秘密」(1924)の監督や、溝口健二監督の「現代の女王」(1924)の原作・脚色も行っている。ロシアのフセーヴォロド・ガルシンの原作を自身で脚色した「信号」(1924)も脚色・監督している。「信号」は、私鉄会社の線路番の責任感と友愛を描いた美談である。危険に突進してくる列車を止めるため、線路番が自らを傷つけた血染めのシャツを振ろうとするが倒れる。彼と仲の悪い同僚が代わりに振るという内容だった。

無声映画の完成 〜講座日本映画 (2)

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