松竹 野村芳亭蒲田撮影所長の活躍とスキャンダル

 当時の蒲田撮影所長は、野村芳亭だった。野村芳亭の指導下で、女性本位の題材と悲劇的要素を加味した家庭劇を中心に、スター第一主義の宣伝で効果を上げた。それまで日活時代劇(松之助映画)がもっとも人気があったが、それを凌駕するほどの勢いだったという。松竹の影響を受けて、日活向島撮影所の現代劇は革新へと向かうほどだった。

 野村が監督した作品に「女殺油地獄」「大和魂」(1924)がある。

 「女殺油地獄」は、歌舞伎を現代劇俳優によって写実的に演出することを試みた野心作である。大阪の油屋の息子は無類の極道者で、店の金を勝手に持ち出しては女に溺れており・・・という内容の作品だ。

 「大和魂」は、陸軍省の後援で製作された作品である。病父母を抱えながら徴兵に取られた兵士のために、同僚の兵士が田植えを手伝ったという実話の映画化で、実話の起こった山形第三十二連隊第五中隊の全員が参加して撮影が行われたという。

 関東大震災によって京都で撮影を行っていた所員たちも、1924年(大正14年)1月に蒲田へ戻ってきた。そして、「嬰児殺し」「無花果」「骨盗み」(1924)といった舞台でも人気だった原作物を映画化したが、映画的な流動美に欠けた舞台的な作品だったという。野村芳亭の映画作りは、シークエンスの単調な積み重ねで、リズムやユーモア、モダニティを持たなかったと言われる。

 野村流の松竹の中で、活気ある映画製作を行っていたのが、島津保次郎だった。活劇や喜劇を得意とし、カッティングには歯切れのよさがあったという。また、生活の現実に眼を向けるようになり、「日曜日」「茶を作る家」(1924)で、平凡な日常の中にユーモアとペーソスを盛り込んだ。後に蒲田調と言われた小市民映画の始まりがここにはあるという。

 「茶を作る家」は、松井松葉の原作を元にした新派悲劇である。守之助は父を助けて茶を作っているが、負債に追われて許婚のお藤と正式な結婚が出来ずにおり・・・という内容の作品だ。

 「日曜日」は、会社のタイピストに恋をしたサラリーマンが日曜日に彼女の家を訪ねると、彼女は子供がいる人妻で・・・という内容の作品である。

 蒲田撮影所長だった野村芳亭は、女優の柳咲子とのスキャンダルを起こし、撮影所長から監督に格下げになり、京都で時代劇の監督をするようになった。このスキャンダルは、巨漢の野村芳亭と小柄な柳が木に止まる蝉のようだということで、「木蝉事件」と呼ばれた。