独立プロの夢と四社連盟による排撃 1925年

 マキノ・プロダクションと、マキノに触発されて出来た独立プロダクションの動きは、大手の映画会社をあわてさせた。そこで、日活、松竹、帝キネ、東亜の大手の映画会社は、四社連盟を結成し、独立プロが製作した映画の上映を阻止しようとした。四社連盟は、社員を各地に派遣し、プロダクション映画を上映した映画館には4社の映画を上映させないと脅した。これに対して、独立プロ側も結成して連盟を作った。

 こうした動きは長くは続かなかった。独立プロの阪妻と松竹が1926年に手を結び、四社連盟も独立プロの連盟もあっさりとつぶれてしまうことになる。