「日輪」の公開と、不敬罪問題 1925年

 マキノ・プロダクションは、剣劇映画のみならず、連合映画芸術家協会と組んで、野心作を製作した。その1つが、「日輪」(1925)である。

 監督を務めたのは衣笠貞之助であり、牧野省三が製作総指揮にあたった。卑弥呼についての物語であり、マキノ智子卑弥呼を演じ、歌舞伎の市川猿之助が出演したことで評判となった。また、五月信子が出演できなくなったため、牧野省三の娘の富栄が出演している。富栄の子供が急病になったが、撮影中の富栄には知らせずに、牧野省三が代わりに寝ずに看病したという。

 予告編が検閲に出されたとき、字幕や台本に「神代劇」「君神」「王」「王妃」などの言葉が登場することが問題となった。皇室の先祖のことと誤解するものが出てくるために、再考を要求され、本編ではすべてを改訂した。

 当時、古代神話を扱った映画はなかったという。「日輪」の公開にあっては、セットの屋根が伊勢神宮を真似ていたため日本の神代をけがすという理由や、皇室の先祖かもしれない卑弥呼を俳優が演じるのは不敬という理由で、右翼団体から不敬罪で訴えられるというトラブルに巻き込まれた。さらに、日活・松竹などの映画会社4社が連名で契約館を締め上げたのも不利に働いたという。ちなみに、不敬罪に問われたスタッフは不起訴となっている。