市川右太衛門のデビュー 1925年

 阪東妻三郎が独立したマキノ・プロダクションは、スターがおらず、興行的にヒット作を生み出せなかったと言われる。そんな中、牧野省三は1人の役者を新たなスターとしてデビューさせている。「黒髪地獄」(1925)でデビューした市川右太衛門である。

 市川右太衛門は歌舞伎の出身であり、若いときから風格があり、殺陣のうまさと正確さも折り紙つきのスターとして活躍し、大衆娯楽としてのチャンバラ映画に精魂を傾けていくことになる。