「雄呂血」 阪東妻三郎の決定打 1925年

 東亜キネマに戻っていた阪東妻三郎は、牧野省三が設立したマキノ・プロダクションには加わらず、立花良介の一立商店の後ろ盾で、独立プロダクションを設立して、マキノ・プロダクションと提携して配給を行うようになった。1925年には、「異人娘と武士」「雄呂血」「魔保露詩」(1925)に出演している。

 「異人娘と武士」(1925)は、マキノ御室スタジオで、マキノのスタッフによって撮影の予定だったが、東亜キネマの監視が厳しく断念。東京にできたばかりの高松スタジオで極秘裏に撮影された。京都のスタジオ街には顔役の人々が姿を現したという。今東光の「ヤパンマルスの作曲家」の映画化であり、明治初年の九州松浦藩を舞台に、イギリス人ベーツに心酔した1人の武士がベーツの娘と恋仲になるのだが・・という内容の作品である。阪東は、立ち回りの素晴らしさで名声をさらに高めたと言われる。

 「雄呂血」(1925)は、阪東のよき理解者でもある寿々喜多呂九平の脚本による作品である。当初は「無頼漢」というタイトルだったが、当局から注意があり、タイトルが変更になったという。阪東は、純粋な心を持ちながら反逆者の烙印を押され、無法者として捕らえられる哀れな青年役を演じた。ラスト1巻(約15分)にわたるクライマックスの乱闘シーンでは、阪東が全身で表現する熱演を見せ、悲愴美の極致を表現した。一方で、面倒な人間関係をタイトルで説明しようとしている面もあるという。

 「雄呂血」は、人生や社会への虚無感が表現された、やりきれないほど暗い作品だが、当時のやりきれない世相を反映して、作るものもやりきれなくなるという、寿々喜多らの作者の思いが込められているとも言われる。そんな「雄呂血」はヒットし、街頭では子供たちが阪妻のチャンバラを真似たという。

 「魔保露詩」は、父の仇を数年の月日をかけて探し当てたが、仇はすっかり零落した上に病身で・・・という内容の作品である。


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