岡田時彦の流浪の俳優生活 1925年

 この後すぐに大スターの座を獲得する岡田時彦は、マキノ映画製作所にいたが、帝国キネマの引き抜き旋風の際に、帝国キネマへ移籍していた。帝国キネマで、何本かの作品に出演した岡田を、当時東邦映画で監督として活躍していた伊藤大輔が引っ張ってきて「煙」(1925)に出演した。その後、1925年6月に東邦映画は解散。伊藤が設立した伊藤映画研究所に同行したが、山本冬郷が大東キネマで監督した「幻の帆船」(1925)に、岡田も出演することにった。岡田は、伊藤大輔のことなどおかまいなしで、上海のロケへと向かい、異国情緒を満喫したという。だが、完成した映画は愚作だったといわれる。

 といった流浪の俳優生活を送っていた岡田だが、1925年10月に日活現代劇部京都大将軍撮影所に入社して、阿部豊と出会うことで俳優として開眼することになる。