内務省警保局が映画検閲権を掌握 1925年

 それまで各地方で行われていた映画検閲だったが、内務省警保局が「活動写真フィルム検閲規則」を作り、映画検閲権を掌握するようになった。これは、全国の映画を一律で規制するメカニズムであると同時に、それまでの風俗の取締りからイデオロギーや思想の取締りへと検閲の意味を変化させることとなった。映画の検閲は、新聞・雑誌・出版物に対する取り締まりと近いところに位置するようになった。

 地方によって風俗慣習が違うため、検閲が不揃いなのは当然という意見もあったが、映画会社の営業上も、統一されていたほうが良いという事情もあり、最終的には全国一律の検閲となった。

 検閲方針には、内務省に内規があったが、時代の移り変わりによって、若干の変更が加えられていったという。内規では、皇統護持と民族確認に重きが置かれ、外国映画の王宮秘話といったものや、キスシーン、抱擁シーン、ヌード、半裸体のダンス、階級的対立の暗示や表象も却下されたという。

 検閲を通過した映画には著作権、興行権、所有権が認められ、コピーや闇市場から入手した作品の無断上映が禁止されるようになった。さらに、観客数、映画館数、フィルム数などの統計が取られるようになり、民間の対応機関として大日本活動写真協会設立が設立された。