日活 森岩雄と金曜会の発足

 「足にさわった女」の脚本を書いた益田甫は、森岩雄が日活の企画部内で主宰したグループである金曜会に所属していた。原作・脚本を担当した「街の手品師」(1925)を携えての渡欧から帰国した森は、日活で相談役的な立場で活動をしていた。その一方で、企画や脚本を練って映画会社に提供する金曜会を発足していたのだった。メンバーには、重鎮の田中栄三を相談役とし、映画評論家の岩崎昶に、後に大監督となる山本嘉次郎などの、進歩的思想を抱くものが集められたという。

 山本嘉次郎は、マキノ・プロダクションの東京撮影所で監督して活躍していたが、1926年にマキノが手を引き、プロダクションはタカマツ・アズマプロへと変わった。その後も山本は監督・俳優として活躍したが、結局はプロダクションはつぶれてしまう。そうした境遇にいた山本は金曜会に招かれ、その後日活の脚本部員としてしばらく活動していく。

 ちなみに、「街の手品師」を監督した村田実は、毎日新聞連載の三上於菟吉原作で各社競作となった「日輪」(1926)を、帰朝記念作品として監督している。フランスで流行していたフラッシュ・バックを随所に使用した作品だったが、賛否はこもごもだった。特に超現実的なセットは無意味だという批判が多かったという。