ルビッチ・タッチの日本映画への影響

 阿部は、ハリウッドで役者として活躍していたころ、セシル・B・デミルと一緒に仕事をしており、阿部の洒落て小粋な風俗映画作家ぶりは、デミルの影響を受けていたという。だが、当時の日本の批評家は阿部の作風をエルンスト・ルビッチ風と見たという。それは、阿部の作品の中に、デミル映画のような道徳主義的な説教がなかったためだと言われる。

 ルビッチはアメリカ映画にソフィスティケイトされたエロチシズムを付け加えた監督であり、当時松竹で活躍していた五所平之助小津安二郎は、ルビッチの作品を繰り返し見て演出技法を学んだという。ルビッチが使った技法としては、「ギャグの三段返し」と呼ばれるものがある。一度使ったら、逆にして使い、オチにまた使うという喜劇の作法であり、ルビッチ作品に模範的に見られたと言われる。

 佐藤忠男は、日本の映画人に影響を与えたルビッチ・タッチについて、「講座日本映画2」の中で次のように書いている。

「一般には“ルビッチ・タッチ”は好色趣味と理解されたが、演出技法的に言えば、何気ないちょっとした動作や表情がたくさんの皮肉な含みを持っていることであり、よく整理された端正な画面構成と、おちつきはらったシャープで知的な画面のつなぎによって間断なく意外性のあるユーモアをくり出すことである」

 また佐藤は、日本では江戸文化の戯作趣味の中に、ルビッチ・タッチの素地があったと指摘している。

無声映画の完成 〜講座日本映画 (2)

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